大判例

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名古屋高等裁判所 昭和28年(う)634号 判決 1953年12月07日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

但し本裁判確定の日より参年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は名古屋地方検察庁検察官検事大越正蔵名義の控訴趣意書に記載されている通りであるからこれを引用するがこれに対する当裁判所の判断は次の通りである。

本件起訴状に訴因として示された公訴事実の要旨は即ち被告人は昭和二十七年九月二十四日午前一時頃愛知県西春日井郡清州町大字朝日西春日井地区警察署朝日巡査駐在所内において同署勤務村瀬元雄及び同広瀬真男より不審と認められ所持品等につき職務質問を受けていた際突然表道路に飛び出したので右広瀬巡査がこれを呼び止め更に職務質問を続けようとして追いかけ同駐在所より約百三十米南方の同町大字西田中国鉄十二号線路上において制止したところ矢庭に同巡査の顔面等を手拳を以て殴打し、足蹴にする等の暴行を加へ因て同巡査に治療約七日間を要する右膝関節部打撲傷等を与へ、以て同巡査の職務の執行を妨害したものであると謂うに在つて、原審の取り調べた原審公判調書中の証人三浦元市、同村瀬元雄、同沢田新蔵、同広瀬真男の各訊問調書、原審公判廷外の証人山田一太の訊問調書、司法警察員三浦元市作成名義の実況見分調書及び原審における検証調書を彼此綜合すれば以下の事実を認定することができる、即ち愛知県西春日井地区警察署勤務巡査村瀬元雄、同津田新蔵の両名は上司たる暑長の命により選挙違反の取締及び未解決刑事々件の犯人捜査の職務を帯びて昭和二十七年九月二十三日夜半管内を私服で警羅中翌二十四日午前零時十五分頃西春日郡清州町西田中国道十二号線路上朝日巡査駐在所南方竹曾飲食店前附近においてその南方より自転車で疾走して来た被告人が晴天に拘らず雨靴を穿きその着用のズボンが破れていたり時刻の遅い点等に不審を抱き先づ沢田巡査が警察官であることを告げた後村瀬巡査と共に交々その住所氏名年齢勤務先及び行き先竝に時刻の遅い理由等を職務質問して一旦別れたけれども被告人の自転車荷台上の革鞄及びその中からポスター様のものの食み出ていたことからその革鞄が数日前西枇杷島において発生した革鞄盗難事件にポスター様のものが選挙にそれぞれ関連するものではないかとの疑念を抱き再び職務質問を行うため村瀬巡査が前記駐在所北方国道より少しく朝日部落に通ずる道路に這入つた地点において被告人に追いつき革鞄及びその在中物調査のため同日午前一時十五分頃被告人を同駐在所に任意同行し同所で種々職務質問をした上鞄内の書類の呈示を求めその一部の調査をしたけれどもその他の書類については再三の呈示要求にも拘らずこれに応ずる気色がなかつたところから沢田巡査は恐らく選挙に関係のある事案であると考え、上司の三浦警部補に連絡のため同駐在所を立出でたのであるがその後午前一時三十分頃同駐在所の電話のベルが鳴りその頃来合せていた同警察署勤務巡査広瀬真男がその受話器を手にした瞬間被告人が突然同駐在所より逃げ出したため同巡査は前年西春日井警察署官内山田村に発生した麻薬強盗事件が未解決であり、しかも被告人の服装、態度のほか履物及びその所持品が同事件の被害品と酷似するところから沢田巡査等の職務質問を継続し且つ同事件の犯人であるか何うかの真偽を確めると共に逃走の理由を問い質す目的で被告人の跡を追いかけ前記国道上にある右駐在所より南方約百三十米の地点で追いつき背後より「何うして逃げるのか」と言いながら被告人を引止めるためその腕に手をかけた刹那被告人は後に振り向くや否や矢庭に同巡査の顔面等を手拳で殴打し又は足蹴にするの暴行を加へたため同巡査は被告人を公務執行妨害の現行犯として逮捕せんとしたが被告人の反抗に会い路上に倒れて格斗したため同巡査は治療約七日間を要する右前腕擦過傷、右膝関節部に打撲擦過傷を蒙つたという事実である。しかるに原判決は右広瀬巡査は沢田巡査等の職務質問を更に続行すべき理由がなく殊に広瀬巡査が被告人を約百三十米追いかけその身体に手をかけた行為は所謂逮捕的行為であつて適法な職務行為の範囲を逸脱し違法であるが故にこれに対する被告人の反撃は正当防衛行為であるから法律上の責任はないと判断して被告人無罪の言渡をしたのであるけれども如上認定の事実を基礎にして広瀬巡査の行為が果して適法な職務行為を逸脱したものであるか何うかについて勘案するに、凡そ警察の使命とするところは謂うまでもなく警察法第一条第一項に明定するが如く国民の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の捜査被疑者の逮捕及び公安の維持に当ることを以てその責務とするのであつて、その責務遂行の適否功拙の結果は直接国民の生命身体及び財産等国民の自由及び権利に対する安危の岐るるところとなり且つ犯罪の誘発を通じて社会不安を醸成し公安の維持を図り得るか否かにも多大の影響を与へるものであるが故に警察機能の果す役割は国民の基本的人権の保護と公共の福祉の維持増進の上に極めて重要なものである。従つてその職権職務の遂行は飽くまで厳正公平にいやしくも濫用にわたらないことを要するは勿論のことであつて警察法第一条第二項に、警察の活動は厳格に前項の責務の範囲に限られるべきであつて、いやしくも日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その権能を濫用することとなつてはならないことを宣言してその責務の放逸を戒め又警察官及び警察吏員(以下警察官等と称する)の職務規範としてその適従するところを示している警察官等職務執行法においても警察法に規定する国民の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防、公安の維持竝に他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行するために必要な手段を規定すると共にその第一条第二項において斯かる手段は右の目的のため必要な最小限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたることがあつてはならないことを明定して厳にこれを戒告している所以のものは即ちここにあるのであつて憲法の理想とする民主々義の進歩発達にも至大の関係をもつものであるからにほかならない、しからば警察官たるものはこれらの法規を解釈し運用するに際つては叙上の法意に鑑み合目的に且つ社会通念に照らして最も合理的に行はれなければならないのであつていやしくもその法意を逸脱して、これが濫用にわたらないように努力しなければならないことは事理極めて明白なことであるが一面警察官が現実の事態に対してその職権職務を遂行するに際つては個人的人権と公共の福祉に対する理解と確信の乏しきことから、ややもすれば徒らに人権擁持の声に怯え、そのなすべきをなさずして卑屈退嬰に流れ、消極的態度に終始してその職権職務の忠実なる執行を忽せにすることなきを保し難いのであつて若し斯かることがあるとせばこれは軈てその職責の廃を招くのみならず却て国民の自由及び権利等憲法の保障する基本的人権の伸張を阻み公共の福祉を危殆に導き、憲法の理想とする民主々義の基盤を動揺せしめるに至る虞れがあると謂はねばならない、即ち行過ぎの慎しむべきであると共に徒に萎縮することの影響も亦大なるものがあるが故に警察官たるものはその職責の重大性に鑑み穏健中正を旨とする健全なる良識と正確な理解力判断力を養ない事態の推移変転に応じて冷静沈着を保つと同時に応変自在の決断と勇気とが必要であつて徒らに退嬰の風に墮しないことを要するものであり又一面国民においても法治国家の一員として法の尊厳を認識しその命ずるところに適従するの自発的自律的な態度こそ望ましいのであつて国民の自発性、自律性こそ総ての文化の発端であり、重要な文化国家の土台をなすものであつて個人の責任を強張することが民主々義の重要な基礎をなすものである点を十分に理解し且つ警察官の任務と職責に対する深い理解と併せてこれに協力するの態度があるにおいては警察官と国民との間に醸すことあるべき摩擦もこれを防止し得ると共にこれに因て警察官の任務職責の円滑な遂行を期待し得るし又国民の自由及び権利の擁護伸張に欠くるところがない成果を産み出して以て文化国家としての発展を促進し得るものと謂うことができる。然して本件の場合についてこれを観るに本件は警察官の所謂職務質問を繞る事案であつて警察官が異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行はれた犯罪については若しくは犯罪が行はれようとしていることについて知つていると認められる者に職務質問の許されていることは警察官等職務執行法第二条第一項の規定により明白であり又場合によつてはその者を附近の警察署、派出所又は駐在所に同行を求め得ることも同法条第二項に明定されているところであるが故に村瀬、沢田の両巡査が前記の如き職務を帯びて警羅中前記認定の経緯経過の下に被告人に犯罪を犯し若しくは犯さんとするの不審の廉が認められた以上警察官としてその疑いの有無を確める必要から職務上路上若しくは駐在所に任意同行を求めて所謂職務質問を行つたことはその措置極めて妥当でありまた原判決においてもその妥当性を是認しているところである。然るに被告人は前記駐在所における右両巡査の職務質問に対しその所持せる鞄内の書類について殊更その一部の呈示要求を拒否してこれに応じなかつたことは前認定の通りであつて、この場合に警察官が被告人に対しその答弁を強要し得ないことは同執行法第一条第三項の規定するところであるが若し被告人において前段叙説の理由から警察官の任務や職責の重要性に対し深甚なる認識や理解を持ち又自ら何等咎むべき疚しいところがなかつたとすれば快く進んでその書類の全部を呈示且つ開披して積極的に警察官の抱く疑念を解くの態度に出でるのが相当であると思料し得るに拘らず強いて拒否の態度に出たことは甚だ遺憾なことであると共にこれがために却て警察官の疑念を剌激し更に一層これを深からしめるに至つたことは事物自然の辿るべき過程であると考察し得るのみならず、被告人が前記認定の如き状況の下に突然隙を見てその場から脱兎の如く逃出したのであるからこれを見た広瀬巡査が右両巡査の職務質問の推移経過に鑑み且つ突然逃出すという異常な挙動を目撃して何等かの犯罪を犯したものではないかとの疑念を抱懐するに至つたのも亦社会通念に照して極めて自然なことである。殊に広瀬巡査が被告人の服装、態度、所持品等から想起された麻薬強盗事件にも関係あるのではないかとの疑念を抱いていたのであるから同巡査が右両巡査の職務質問を更に続行し且つ同時に自己の疑念を解くため職務質問の必要ありと思考したのは警察官として当然のことである。蓋し警察官が或る種の犯人ではないかとの疑念を抱きながら、それまで職務質問に関係しなかつたという理由のみで被告人の逃走を慢然拱手傍観して何等の措置を講ずべきではないと謂うが如きは警察官の担う重要な任務と職責の忠実な遂行を命ずる警察法規の精神に鑑み到底採用すべきところではないと思料されるからである。従つて広瀬巡査が他の巡査の職務質問を続行し又自らの疑念のため職務質問を行うことは許されて然るべきであり、そのためには同執行法第二条第一項の法意に従い逃走する被告人を停止させてこれが質問をすることができるものと解すべきであると同時に又これをなすことが却てその忠実な職責の遂行であるとも謂い得るのである。尤も斯かる場合停止させるに必要な手段方法は客観的に妥当であると判断される適切な手段方法を選ぶべく、決して暴行に亘るべき態度に出づべきでないことは勿論のことであるが斯かる手段方法である限り多少の実力を加えることも正当性のある職務執行上の方法であると謂はなければならない。原判決は広瀬巡査が被告人を約百三十米追かけその身体に手をかけた行為を目して逮捕的行為であると認め適法な職務行為の範囲を逸脱していると判断しているけれども、その距離の如何に拘らず停止を求めるためにその跡を追かけることは事物自然の要求する通常の手段方法であつて、客観的に妥当なものであると認むべくこれを目して強制又は強制的手段であるとは制底考へられないところであるし又同巡査が被告人の背後より「何うして逃げるのか」と言いながらその腕に手をかけたことも任意に停止をしない被告人を停止させるためにはこの程度の実力行為に出でることは真に止むを得ないことであつて正当な職務執行上の手段方法であると認むるを相当とする、固よりこの程度の実力行為は刑事訴訟に関する法律の規程によらない限りなし得ない逮捕行為に該当するものではないと解すべきであり原判決においても敢て逮捕的行為と謂い「的」なる語を用いているのは恐らく逮捕自体ではないがこれに準ずべき行為であるという意味において理解したものであろうが、逮捕と停止行為とは明らかにその観念を異にし、逮捕は被逮捕者の意思如何に拘らず或る程度の時間的拘束を含む観念であるに反し、停止行為は停止のための一時的行為であつて、停止を求められた者が任意に停止することによつて直ちに中止されねばならぬ性質のものであるから広瀬巡査の本件停止行為は毫も逮捕行為と目すべきものでなく又これに準ずべき性質のものであるとも謂い得ない。そのほか本件記録を精査するも広瀬巡査が被告人に対し何等強制又は強制的行為に出でたと認むべき形跡はないから広瀬巡査の被告人に対して採つた如上の行為は正当な職務執行上の行為として総て適法であると謂はなければならない。然るに被告人が前記認定の通り振向くや否や矢庭に広瀬巡査の顔面等を手拳で殴打し又は足蹴にする等の暴行を加へるの挙に出た行為は正に公務執行妨害罪を構成すべく、決して正当防衛行為と目し得ないのみならずその際格斗となりそのため同巡査に前認定の如き傷害を与へるに至つたことは被告人の暴行との間に相当因果関係を認むるを相当とすべきであるから同時に傷害罪をも構成するものと謂はざるを得ない。然らば原判決が被告人の行為は公務執行妨害罪を構成しないと判断したのは法令の解釈を誤り事実誤認の失を犯した違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明白であるから論旨は総て理由があり原判決は到底破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条第三百八十二条により原判決を破棄し且つ原審において取調べた証拠により直ちに判決することができるものと認め同法第四百条但書により本被告事件につき更に次の通り判決する。

当裁判所において認めた罪となるべき事実被告人は昭和二十七年九月二十四日午前零時十五分頃愛知県西春日井郡清州町大字西田中国道十二号線路上朝日巡査駐在所南方竹曾飲食店前附近において折から犯人捜査及選挙取締のため警羅中の同県西春日井地区警察署勤務巡査村瀬元雄、同沢田新蔵の両名より挙動不審者として職務質問を受け更に右巡査駐在所に任意同行の上その所持品等につき質問中同日午前一時三十分頃同駐在所の電話の「ベル」が鳴り同駐在所に来合せていた同警察署勤務巡査広瀬真男がその電話の受話器を手にするや突然表道路に飛出して逃走したので同巡査がこれを呼び止め更に職務質問をなさんとしてこれを追跡し同駐在所より約百三十米南方の同町同大字国道十二号線路上において追つき背後より「何うして逃げるのか」と言いながら被告人の腕に手をかけた刹那被告人は後に振向くや否や矢庭に同巡査の顔面等を手拳を以て殴打し又は足蹴にして暴行を加へ格斗するに至つたため因て同巡査の右前腕及右膝関節部に打撲擦過傷等治療約七日間を要する傷害を負はせ以て同巡査の公務の執行を妨害したものである。

≪証拠の標目省略≫

法律の適用

原審においては弁護人桜井紀は被告人の本件所為を以て正当防衛であると主張したのであるが前段説示の理由により正当防衛に該当しないが故に該主張は採用できない。法律に照すと被告人の判示所為中公務執行妨害の点は刑法第九十五条第一項、傷害の点は同法第二百四条に各該当するところ公務執行妨害と傷害とは一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四条第一項前段第十条により重い傷害罪の刑に従い所定刑中懲役刑を選択しその刑期範囲内において被告人を懲役六月に処すべきところであるがその情状刑の執行を猶予するを相当と認め刑法第二十五条により本裁判確定の日より参年間右刑の執行を猶予し原審における訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項により全部被告人をしてこれを負担させることとし主文の通り判決する。

(裁判長判事 羽田秀雄 鷲見勇平 小林登一)

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